昔好きだったゲームの続編で、茨木のりこの詩を想う
PS Vitaで2012年頃発売されたグラビティデイズというゲームがある。
当時相葉は大学生で、ファミ通の記事を読んでビビッと来る何かがあったのでゲーム機本体ごと購入した。
いざプレイしてみると自分の感覚に誤りはなく、世界観、キャラクター、ストーリーと何から何まで自分好みで最高だった。久しぶりにゲームにどハマりし、トロフィーはプラチナまで取り、DLCはすべて購入し、その後PS4で発売されたリマスター版もプレイした。
それから5年の月日が経ち、大学生だった相葉が20台半ばとなったころ、ついに待ちに待った続編、グラビティデイズ2が発売され、これも当然発売日にAmazonで購入した。携帯機用に開発された前作と比べて圧倒的にグラフィックが良くなった…だけではなく、そのスペックを活かして世界観が大幅に広げられ、長年待った甲斐のあるゲームとなっていた。
クリアするのがもったいない。久しぶりにそう感じた。
自信をもって人におすすめできるゲームだと思う。
・・・もちろん人それぞれの価値観があるから保証はできないが!笑
ただ、一つ言えるのは、学生だったころはこういった創作物の世界観やキャラクターに自然に感情移入できたけども、20代も半ばとなってくるとだんだんとそれが難しくなってくるなぁということだ。
昔は主人公≒自分であったけども、この歳になると明確に主人公≠自分であり、昔ほど感情移入はできなくなった。
大人になればなるほど感性の劣化をひしひしと感じて、毎日毎日が飛ぶように過ぎていく。
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ と詩で詠ったのは茨木のりこだったが、その意味を最近になってひしひしと実感している。
水やりを怠らず、萎れてきた感性を生き生きとさせていきたいと切に思う。
自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ〔茨木 のりこ の詩集より引用〕